今の都島の地に人が住みはじめたのは平安朝以降のことですが、池・沼の多い低湿地帯であったために、たびたび河川の氾濫に見舞われ、長い間小寒村が点在するという状態が続いていました。
しかし、豊臣時代になると、南端部にあった相生町・野田町・網島町のあたりは、山城・河内・大和の諸国と難波の地をむすぶ交通の要衝の地にあたっていたので、次第に市街化しました。さらに徳川時代には、大阪市中の近郊農村として発達しました。
明治22年(1889)4月市町村制発布にあたり、摂津東成郡中野村・沢上江(かすがえ)村・善源寺村・友渕村・毛馬村を合わせて都島村と称しました。その後、昭和18年(1943)4月1日に、現在の区域による都島区が誕生したのです。
江戸時代に俳人・画人として活躍した与謝蕪村は、享保元年(1716)、当時の摂津東成郡毛馬村に生まれました。八代将軍吉宗の治世が始まった年であり、芭蕉が世を去って23年が経っていました。
若いときに江戸に出て、さらに各地を転々とした後、42歳以降は京都に居を構えました。そのころ、母の生地であった丹後の与謝郡にちなんで、谷口姓を与謝に改めたそうです。
大川岸に建つ、蕪村自身の筆跡による句碑に刻まれた「春風や堤長うして家遠し」は、名作「春風馬堤曲」の中の一首で、「馬堤」は毛馬堤を指します。
毎年7月24、25日に行なわれる天神祭は、大阪天満宮(大阪市北区)の菅原道真公をお祭りする行事ですが、大阪の本格的な夏のはじまりとして、淀川・大川沿いの一帯は華やいだ雰囲気に包まれます。
天神祭は約1000年前に始まり、管絃祭(広島県)、ホーランエンヤ(島根県)と並ぶ、日本三大船祭の一つと言われています。25日には花火も行なわれ、遠方からも大勢の人が見物に訪れます。
冨久屋はなんと!10年以上も前から、お祭りに使う赤飯と白むしを提供しているんですよ。